宗恵の『一日一禅』

宗恵の『一日一禅』 120

虚心(きょしん) 「虚心坦懐(きょしんたんかい)」 わだかまりがなく、さっぱりしていること・さま (『日本語大辞典』講談社) の四文字熟語でよく見られます。 「虚心」とは心に先入観やわだかまりがなく、すなおであること・さま ということです。この…

宗恵の『一日一禅』 119

○ ○は円相です。よくお掛物で円だけ書いてあるのがあります。 何も無い状態=無一物(むいちもつ)をあらわします。 また「宇宙」をあらわす時もあります。 限りの無いもの、の意味にも使われます。 月にもなるし、また太陽にも見えます。 まあるい尖ったと…

宗恵の『一日一禅』 118

翠樹含風葉葉涼(すいじゅかぜふくんで ようようすずし) 梅雨の晴れ間に、木々の鮮やかな緑の葉を風がそよそよと揺らし 爽やかな香りとともに涼気を運んでくれる、そんな情景をあらわしています。 新潟地方も梅雨に入ったと思われるそうです。 今はどこの家庭…

宗恵の『一日一禅』 117

不風流處也風流(ふうりゅうならざるところ またふうりゅう) どう見ても風流とは言えない、しかしそこに何とも言えぬ風流さがあるという意味である。 風流さを徹底的に追求し、それを極めたところに、風流ならざるものをも受け入れる余裕がが生まれる。 しか…

宗恵の『一日一禅』 116

竹有上下節(たけにじょうげのふしあり) これは昨日の「松に古今の色無し」の対句です。 松は常に青々としていて禅でいう「平等相」をあらわしています。 そしてこの句は、竹は上下に節で分けられていて「差別相」をあらわしています。 いつも登場する『淡…

宗恵の『一日一禅』 115

松無古今色(まつにここんのいろなし) この句もよくお茶席にかけられる禅語ベストスリーに入るのではないでしょうか。 松の色は古い松も新しい松も常に同じ緑色をしている、ということで 皆同じ、という平等をあらわしている句です。 なんでも皆平等、とい…

宗恵の『一日一禅』 114

雲無心出岫(くもむしんにして しゅうをいづ) 陶淵明(すごい!一回で変換できるのね…)が官を辞して郷里に戻り詠んだ『帰去来辞』の一節です。 雲無心にして岫を出で 鳥飛ぶに倦んで還るを知る 雲は何にも捉われることなく山の洞穴から湧いてきて 鳥は飛ぶ…

宗恵の『一日一禅』 113

渓水山風共清(けいすいさんぷうともにきよし) 澄み切った谷川の水の涼しげなせせらぎと爽やかな風が山歩きで火照った体に心地よい 仲夏の一日の情景が描かれている。 このような大自然の営みに触れて、その中に生き生きと働き続けている大いなる生命の存在…

宗恵の『一日一禅』 112

遠山無限碧層層(えんざんかぎりなし へきそうそう) 中国宋代の禅の書『碧巌録』第20則の中の「暮雲の頌」として知られている中の句です。 対するに堪えたり暮雲の帰りて未だ合せざるに 遠山限り無し碧層々 夕暮れが近づくにつれ雲が周囲から集まってきて…

宗恵の『一日一禅』 111

鳥啼山更幽(とりないて やまさらにゆうなり) 唐宗八大家の一人で、仏教や老荘の思想にも造詣が深かった 王安石の『山居』と題する詩の一節です。 風定まって花落ち 鳥啼いて山更に幽なり 吹き荒れていた風がようやく収まり、咲いていた花も散ってしまった…

宗恵の『一日一禅』 110

山是山水是水(やまはこれやま みずはこれみず) 山は山 水は水 という当たり前のことを述べた句ですが、 これを禅語として用いられる場合は、とてつもなく重い意味を持つ言葉になるそうです。 悟りにいたる以前は、ただ山は山にしか見えず、水は水でしかあ…

宗恵の『一日一禅』 109

信天行直道(てんをしんじ じきどうをぎょうず) 天地自然の道理を信じて正しい道を進む、という意味です。 物事の道理は自然の中から学ぶのですね。 いつのまにか調子に乗って、自分の都合の良い方向へ、無理に持っていこうとするようになって 道を踏みはず…

宗恵の『一日一禅』 108

呼風(こふう) 文字通り「風を呼ぶもの」すなわち扇子や団扇を表しています。 唐代の宝徹禅師とその弟子の問答に 「経典には風性常住(風の性質は常に存在している)と説いているのに師は何故扇子を使うのですか」 宝徹は答えました。 「確かに風の性質は常…

宗恵の『一日一禅』 107

結果自然成(けっかじねんになる) この句は「一華五葉を開く」の対句です。http://blogs.yahoo.co.jp/soukei0322/33696007.html 悟りという花が開けば、多くの果報がそれに伴って現われる、ということが示されています。 何事にも一生懸命に取り組めば、自…

宗恵の『一日一禅』 106

坐看雲起時(ざしてはみる くもおきるとき) 昨日の「行きては到る水の窮まるところ」と対句になる言葉です。 川の源まで来てしまい、そこに坐ってただ湧き上がる雲を眺めているという 自然の中の何も束縛されるものがない状態を、あらわしているのではない…

宗恵の『一日一禅』 105

行到水窮處(ゆきてはいたる みずのきわまるところ) 中国唐代の詩人で「詩仏」と呼ばれた王維の詩。 西安の南にある終南山にある別荘での脱俗生活を詠んだ『終南の別業』の中の句です。 川の流れをたどっていくと、その源流にまで来てしまった、という意味…

宗恵の『一日一禅』 104

白雲起峰頂(はくうんほうちょうにおこる) 昨日の禅語「庵中閑打坐」に続く句です。 山中の庵でひとり坐禅をしていると、山の頂きから雲が湧き上がってくる という情況をあらわしている句ですね。 青い空に浮かぶ白い雲を見ていると、少しずつ変化して見て…

宗恵の『一日一禅』 103

庵中閑打坐(あんちゅうしずかにたざす) 中国の宋の時代の書『人天眼目』上巻に載っている 「庵中閑かに打坐すれば、白雲峰頂に起こる」からとられた句です。 俗世間を離れ、何ものにも束縛されず、ただ心静かに坐禅をする。 と言う情況をあらわしています…

宗恵の『一日一禅』 102

萬法歸一(まんぽういつにきす) 「万法」とは「諸法」ともいい、森羅万象、一切の存在のことです。 それらの本源を求めていくと、結局は絶対の「一」に帰ってくるということです。 今朝、早くに伊勢から家に戻りました。 ボーッとした頭に浮かんできたのが…

宗恵の『一日一禅』 101

草色青青柳緑(そうしょくあおあおとして やなぎはみどり) 青々と茂る野原に薫風吹き渡り、水辺の柳の枝が爽やかに揺れている、 という情景が浮かびます。 昨日の「百花春玉」の情景と重ね合わせてみると、春を謳歌した気分になりますね。 5月はまさにこれ…

宗恵の『一日一禅』 100

百花春玉(ひゃっかしゅんぎょく) 春になりいたるところに花が咲き誇っています。 それはまるで光輝く宝石のようだ、と詠っています。 100回記念?ではないですが、100にちなんだ句がないかなぁ、と選んでみました。 ばら園のばらも、道端に咲く可愛…

宗恵の『一日一禅』 99

南山打鼓北山舞(なんざんにつづみをうてば ほくざんにまう) 南の山で太鼓をうてば北の山でそれに合わせて踊り出す という、なんとなくユーモラスな句ですが 時間も空間も超越した悟りの世界の、自由な働きをあらわしています。 あれもこれも分別しながら行…

宗恵の『一日一禅』 98

時時勤拂拭(じじにつとめてほっしきせよ) 真の悟りをひらくまで、つねに心を磨いて塵を払わなければならない という意味です。 わたしたちは悟りをひらくまでには至らないかもしれませんが 常に心を開いて、世の中のあらゆることに対して目をつむることな…

宗恵の『一日一禅』 97

歩歩清風起(ほほ せいふうをおこす) 一歩一歩進むたびに清らかな風が吹いている。 至るところ煩悩を吹き払い、汚れなく清浄な悟りの世界だ、という情景だそうです。 十年以上たつでしょうか、わたしの二人の息子の為にある方にこの句を書いていただきまし…

宗恵の『一日一禅』 96

風揺松竹是歓聲(かぜしょうちくをゆるがす これかんせい) 五月晴れのもと、松や竹の間を薫風が通り、爽やかな音を奏でます。 まるで新緑の野に響き渡る歓声のように聞こえます。 一年でこの時季が一番ウキウキ心躍る季節ではないでしょうか。 家の前を幼稚…

宗恵の『一日一禅』 95

薫風自南来(くんぷうみなみよりきたる) 香りシリーズ第2弾!きょうも香りをお届けします。 今の季節、一番多く掛かる句ではないでしょうか。 ある初夏の一日、唐の文宗皇帝が 「人皆炎熱に苦しむも、我夏日の長きを愛す」 と詠んだのを受けて文人の柳公権…

宗恵の『一日一禅』 94

竹風送清香(ちくふうせいこうをおくる) きょうは竹やぶを通って吹き渡ってくる、爽やかな風の香りをお届けします。 香りと共にそよそよと葉っぱの音も聞こえてきませんか? お軸の句ひとつで、お茶室が別世界のようになります。 手元の本に大徳寺第273…

宗恵の『一日一禅』 93

青山緑水是我家(せいざんりょくすい これわがや) 青々とした山、木々の緑が映る水の流れ、見渡す限りの自然がわたしの家そのもの。 森羅万象と自らの融和をあらわしている句です。 諸方を行脚する修行僧は例外なくこの境地に至るそうです。 きょうもお天気…

宗恵の『一日一禅』 92

直心是道場(じきしんこれどうじょう) 「直心」素直で誠実な心そのものが道場だ、ということでしょうか。 雑念のない素直で誠実な心は仏法の修行のみならず、あらゆることの基本であると思うのですが、 世の中、初めからよこしまな、人をおとしいれようとす…

宗恵の『一日一禅』 91

悟無好悪(さとればこうおなし) 迷えば寂乱を生じ 悟れば好悪無し 一切の二辺は 浪(みだり)に自ら斟酌す からとった句です。 迷いの中にいるから安らぎと乱れとに振り回され、悟れば良いも悪いも無くなります。 是非や善悪などの対立する考えは、自分が勝…