宗恵の『一日一禅』

宗恵の『一日一禅』 150

直透萬重関(じきにばんちょうのかんをとおる) いくつもの難関を突き破って悟りに達することができた、という意味です。 悟りに達することができた、と自覚できるものなのでしょうか? わたしは実際に悟りに達した方とお話したことがないのでわかりませんが…

宗恵の『一日一禅』 149

泉聲中夜後(せんせいちゅうやののち) 『虚堂録』の中の「泉声中夜の後 山色夕陽の時」からとられた言葉です。 泉から溢れ出る水が小さな流れとなって谷間を通る音は、いつも心を落ち着かせてくれますが 夜半に周囲が静まりかえる頃が特に美しく響く、とい…

宗恵の『一日一禅』 148

好事不如無(こうじもなきにはしかず) たとえ良いことであっても、できれば無いに越したことはない、という意味です。 『碧眼録』にしばしば見られる言葉だそうですが、 この場合の「好事」は「悟り」を指すと考えるそうです。 「悟り」に執着するあまり、…

宗恵の『一日一禅』 147

別是一家風(べつにこれいっかのふう) 「家風」とは家に代々伝わっている習わしや生活様式のことですが 禅においても同じ師匠からの教えを受け継ぐ仲間を家族にたとえて それぞれの修行法や公案の解釈に現われてくる特長を「家風」と呼ぶそうです。 師匠の…

宗恵の『一日一禅』 146

清影揺風(せいえいかぜにゆらぐ) 「清影」は澄み切った月の光、またはその光に映し出される清らかな影のことだそうです。 この場合は後者の意味で、澄み切った空にかかる月が竹林を照らして 映し出す竹の葉の影が、風に揺れている、という涼やかな光景をあ…

宗恵の「一日一禅』 145

丈夫意気自衝天(じょうぶのいき おのずからてんをつく) 丈夫には自ずから衝天の気有り 如来の行処に向かって行ずること莫れ 同安禅師という方の詩の一節です。 丈夫、すなわち一人前の人間には、本来天を衝くほどの勢いが誰にでもあるそうです。 ですから…

宗恵の『一日一禅』 144

青寥寥白的的(せいりょうりょう はくてきてき) 「寥寥」は広く奥深いさま、「的的」は明白なさまのことです。 青さが純粋で奥深く、白さがはっきりしている、ということをあらわしている句です。 何事もそのように行動したいものですね。 変に裏で画策した…

宗恵の『一日一禅』 143

雨後青山青轉青(うごのせいざん せいうたたせい) ひとしきり降った雨が空気中や木々の葉っぱの塵を洗い清め 静かにそびえる山並みの青さが一段と鮮やかに見える、 そんな情景を詠んだ句ではないでしょうか。 「転(うたた)」は ますます。いよいよ。とい…

宗恵の『一日一禅』 142

雨洗娟娟浄(あめあらいて けんけんきよし) 「娟娟」は女性的で柔らかくあでやかなさま、しなやかで美しいさまを形容します。 禅語にしてはずいぶん艶っぽいですね♪(←不謹慎…?) 夏の昼下がり、急に雨が降り出し人々は近くの軒先へ逃げ込みます。 しばら…

宗恵の『一日一禅』 141

雲悠悠水潺潺(くもゆうゆうみずせんせん) 雲が山の頂きにゆったりと浮かんでいるのに対し 谷川の水は一時も休まずに流れ続けている という雄大な情景をわずか6文字であらわしています。 声に出して読んでみてください。 その情況が目に浮かび、水の流れる…

宗恵の『一日一禅』 140

鳶飛魚躍(とびはとび うおおどる) 中国最古の詩篇『詩経』の中の「大雅」に 鳶飛んで天に戻り(いたり) 魚淵に踊る から作られた句だそうです。 躍動感のある言葉ですね。 今日は何故か気分が落ち込んでいるので 心がウキウキするような句を選んでみまし…

宗恵の『一日一禅』 139

水上青青翠(すいじょうせいせいたるみどり) 中国宋代の薬山禅師の詩の一節です。 「水上青々たる翠 元是れ浮萍(ふひょう)」 根を持たないで所を定めず常に漂い続けているけれども その生き生きとした青さはどこにあっても変わらない、 浮き草のあり方を…

宗恵の『一日一禅』 138

萬里一條鉄(ばんりいちじょうのてつ) 昨日は新潟市白山神社内にあります「燕喜館(えんきかん)」で行われた 余所の青年部主催の「文月茶会」に参加しました。 「道」をテーマのお茶会、ということでした。 男子会員によるお濃茶席に掛けられていたお軸が …

宗恵の『一日一禅』 137

夏有涼風(なつにりょうふうあり) 『無門関』第19則「平常是道」の中の無門慧開による頌の一部 春に百花有り 秋に月あり 夏に涼風有り 冬に雪有り 若し閑事の心頭に挂くるる無くんば 便ち是れ人間の好時節 の言葉です。 春は花、秋は冬、夏は風、冬は雪 …

宗恵の『一日一禅』 136

清流無間断(せいりゅうかんだんなし) 「流水無間断」ともいわれますね。今の時季、良く見られる句です。 「清流間断無く 碧樹曽て凋まず(へきじゅかつてしぼまず)」 とつづきます。 常に前向きに真実を求め続けていけば 碧樹=悟りに近づける、というこ…

宗恵の『一日一禅』 135

渓泉清流(けいせんせいりゅう) 山の中の泉から湧き出る冷たい水を思い浮かべ その流れが山歩きをする人たちの喉を潤し、 やがては大きな川となることを想像してみましょう。 このような自然の素晴らしさを思う時、 何故、他国に向けてミサイルを発射するの…

宗恵の『一日一禅』 134

白雲自去来(はくうんおのずからきょらい) これは昨日の「青山元不動」の下の句です。 「白雲」は貪りや怒り・愚かさなど、真実の自己を覆い隠してしまおうとする 様々な心の障害物を指しているそうです。 「黒雲」でなく「白雲」なんですね。 「黒雲」はも…

宗恵の『一日一禅』 133

青山元不動(せいざんもとふどう) 「青山」は悟りに向かう心を乱そうと吹き荒れる煩悩の嵐の中にあっても 微動だにせず、聳え立つ真実の自己「仏性」を指すそうです。 確固たる自分を持つこと… あっちへフラフラ、こっちへフラフラ… いろんなものに興味を持…

宗恵の『一日一禅』 132

和心(わのこころ) この言葉は昨日、新潟伊勢丹7階茶室「丹庵」で行われた 「第25回 チャリティ茶会」のとき青年部席で掛けられた言葉です。 昨日のお席は部長が不在でしたが (わたしも行くはずだった、魚津の北陸信越ブロック会員大会に出席の為) 担…

宗恵の『一日一禅』 131

殿閣生微涼(でんかくびりょうをしょうず) これは5月に紹介しました「薫風南より来る」の下の句です。 http://blogs.yahoo.co.jp/soukei0322/36274166.html 暑い夏の昼下がり、緑したたる木々の間を通ってきた南風が 宮殿の中を吹き渡り、心地よい清涼感を…

宗恵の『一日一禅』 130

喫茶去(きっさこ) これもよく目にする、耳にする言葉ですね。 「まあ、お茶でも飲みなさい。」という意味です。 「去」は「去っていく」という意味ではなく、助字で意味は別にありません。 禅の世界では「趙州喫茶去」の公案といって大変やかましいものに…

宗恵の『一日一禅』 129

遶山筧滴引清流(やまをめぐりけんてきして せいりゅうをひく) 筧(かけい)とは水を通すのに用いる竹筒のことです。 山を巡って見つけた清水を筧で我が家まで引いてきた、 というなんとまあ贅沢な句でしょう! わたしの住んでいる所は湧き水を水道水に利用し…

宗恵の『一日一禅』 128

癡人猶汲(戸+斗)夜塘水(ちじんはなおやとうのみずをくむ) これは昨日の「三級浪高うして魚龍と化す」の対句です。 「くむ」という字は本当は「戸」の中に「斗」が入るのですが、変換できません…。 魚はすでに三段の滝を昇って龍になっているのに まだ池…

宗恵の『一日一禅』 127

三級浪高魚化龍(さんきゅうなみたこうして うおりゅうとかす) 夏王朝を開いた禹(う)は黄河の氾濫を防ぐために、上流にある龍門山を三段に切り落として 水の流れを分けることにした。そのためにできた三段の滝は「龍門の三級」と呼ばれたが、 その流れ落…

宗恵の『一日一禅』 126

巌松無心風来吟(がんしょうむしんかぜきたりぎんず) 岩の上に根を張って立っている松に風が吹き、松の葉を揺らす音が聞こえてきます。 松も無心、風も無心。その光景を目をつぶって思い浮かべてみてください。 何のはからないも捉われの無い気分に、少しは…

宗恵の『一日一禅』 125

葉雨(ようう) いつもご登場願う『淡交テキスト 茶席の禅語編 6月』 に出ているんですが、出典も書いていなくて『日本語大辞典』にもこの言葉は載っていません。 しかし、今の梅雨の時期にこの「字」を見ていると 鬱陶しい雨も、緑の葉っぱをより鮮やかに…

宗恵の『一日一禅』 124

隔岸越山多(きしをへだててえつざんおおし) 「呉越同舟」の語で有名な呉と越は、春秋時代に現在の江蘇省から浙江省に至る地域で栄えたが この句は唐代の僧処黙がその二国の国境付近、杭州の郊外にある聖果寺(しょうかじ)から 南方を望んで詠んだ詩の一部…

宗恵の『一日一禅』 123

修竹不受暑(しゅうちくしょをうけず) 「修竹」とは長い竹のことです。 竹やぶに入ると頭上は竹の葉で覆われ、陽射しをさえぎってひんやり涼しい様子をあらわす句ですね。 そよそよと竹の葉をゆらしてそよぐ風の音も聞こえてきそうです。 竹や笹は新しい葉…

宗恵の『一日一禅』 122

緑斜浮水稲抽秧(りょくしゃふすい いねちゅうおうす) 浅く水の張られた水田に緑色の幼い苗が斜めに頭をのぞかせている という田植えのあとの風景です。 ここ蒲原平野では一面に水田が広がり、まさに米どころ新潟という風景です。 わたしは学生時代、今の日…

宗恵の『一日一禅』 121

天際日上月下(てんさいひのぼりつきくだる) 中国宋代の禅の書『碧眼録』におさめられている句です。 至道無難 言端語端 一に多種有り 二に両般無し 天際日上り月下る 檻前山深く水寒し 悟りは少しも難しくない。それは言葉の一々に現われている。 真実は一…