2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

宗恵の『一日一禅』 208

山高月上遅(やまたかくしてつきのぼることおそし) 高い山に遮られて月が上がってくるのがなかなか見えない という大変わかりやすい句ですが、その意味するところは 迷いや妄想・捉われに妨げられて なかなか悟りの境地に至ることができないたとえに用いら…

「師範会」とは

先日の記事に書きました「師範会」とは 一般的には淡交会組織でいう「終身師範会員」の会のことです。 茶名を持っていれば本当は皆「終身師範会員」にならなければなりません。 新潟支部の場合「終身師範会員」は毎月「師範例会」があり 月釜があります。順…

宗恵の『一日一禅』 207

普(ふ) 中国唐末五代の名僧・雲門文偃(うんもんぶんえん)にある僧が 「如何なるか是れ正法眼」(仏法の神髄とは何ですか) と尋ねたところ、雲門は答えました。 「普」 上を見ても下を見ても、真理は至る所に満ち満ちている ということを雲門は「普」一…

人生の岐路?

昨日、お稽古にお伺いして先生から重大発表! 「今年いっぱいでお稽古をやめます」 とおっしゃいました。 来月11月で87歳。 来年から師範会に入る、というわたしの言葉を聞かれて決められたのかな。 毎年「師範会にお入りなさい」と言われていて、 その…

宗恵の『一日一禅』 206

話尽山雲海月情(わしつくす さんうんかいげつのじょう) 中国宋代の禅の書『碧眼録』に見られる句です。 損得や名声などを一切気にせず、心を開き清らかな心で 時間の限り語り合うことを言っています。 忙しい日常の生活から離れ、自然の中で仲の良いお友達…

宗恵の『一日一禅』 205

賓主歴然(ひんじゅれきねん) これは昨日の「賓主互換」とはまた違った意味の句です。 主客の区別がはっきりしている、ということですね。 席中では身分の差はなく、みな平等であるけれども 亭主は亭主として、客は客としての役割があります。 これを「賓主…

「秋のばらまつり ばら園呈茶」を行いま~す♪

来る11月5日(日) 長岡市宮本東方町にあります 国営越後丘陵公園内ばら園 殿堂入りしたばらのエリア において 「秋のばらまつり ばら園呈茶」を行います。 午前10時から午後3時まで。 一席 300円です。 素晴らしい秋ばらを眺めながら、一碗をいた…

宗恵の『一日一禅』 204

賓主互換(ひんじゅごかん) 「賓主」とは賓客と亭主のことです。 亭主と客が自由自在に入れ替わることで、「無賓主の茶」と呼ばれるそうです。 亭主が客となり、客が亭主となる。 お互い気心の知れた間柄であるからこそできる茶会ですね。 緊張感が漂う中に…

宗恵の『一日一禅』 203

風吹不動天辺月(かぜふけどもどうぜずてんぺんのつき) 『普灯録』の中の 「風吹けども動ぜず天辺の月 雪圧せども摧(くだ)け難し澗底(かんてい)の松」 から採られています。 どんなに風が吹き荒れても、空高くかかる月は微動だにせず 山奥の谷間にある…

宗恵の『一日一禅』 202

仁者寿(じんしゃはいのちながし) 『論語』第6雍也(ようや)篇に、知者と仁者とを対比した記述があります。 子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。 知者は動き、仁者は静かなり。 知者は楽しみ、仁者は寿し。 知者は時の流れに自分を合わせて生き…

淡交会新潟支部55周年記念淡交茶会

秋晴れの10月22日(日)新潟市民芸術文化会館において (社)茶道裏千家淡交会新潟支部55周年記念淡交茶会が盛大に開催されました。 濃茶席1席・薄茶席2席・お呈茶(学校茶道)があり、青年部は薄茶席を スタジオBで担当いたしました。 スタジオB…

宗恵の『一日一禅』 201

積善来百福(せきぜんひゃくふくきたる) 昨日(社)茶道裏千家淡交会新潟支部55周年記念淡交茶会が 新潟市民芸術文化会館において盛大に開催されました。 青年部席のお床に掛けられた坐忘斎御家元の色紙がこの句です。 徳を積めば必ず良いことがあります…

全国大会 二日目 畿内文化圏席

二日目、最後のお席となりました。 ちょうど御家元ご夫妻・大谷様とご一緒のお席で 御家元のお話をお聞きすることができて、ラッキーでした。 ご亭主・お点前さんは雅ないでたちで登場です。 さて、テーマは何でしょう? 床 坐忘斎家元筆 短冊 不動一歩行千…

宗恵の『一日一禅』 200

一月在天影印衆水(いちげつてんにあり かげしゅうすいにしるす) 空にはこうこうと月が明るい光を放ち、その光を地上のあらゆる水が受け取り その影を映している、という意味ですね。 この世の衆生は皆等しく仏の光を受けています。 すべてが等しく輝くはず…

宗恵の『一日一禅』 199

只在目前尋處無(ただもくぜんにあり たずぬるにところなし) 目の前にありありと現れているけれど、 捉えようとしても絶対に捉えられない という意味です。 人間の「心」のことを言っているのでしょうね。 悟りを求める心・他人を思いやる心・人を慕う心・…

全国大会 二日目 総本部知新会席

総本部知新会とは青年部を卒業された全国委員・全国委員補経験者によって構成されています。 床 鵬雲斎大宗匠筆 横 慈愛 花入 玄々斎好 鶴首籠花入 在判箱書共 五十の中 元竺造 炭斗 玄々斎好 松唐草曲 羽箒 青鷺 一双の内 鵬雲斎大宗匠箱書 鐶 大角豆 香合 …

宗恵の『一日一禅』 198

風光日日新(ふうこうひびあらたなり) ここ数日、さわやかなお天気が続いています。 街中に住んでいると、自然の移り変わりを目の当たりにすることはあまりありませんが 窓に吹き込む風が冷たく感じられるようになりました。 自然の景色は日々移り変わりま…

全国大会 二日目 濃茶席

次に入ったお席は全国委員会男子によるお濃茶席 登録券はA・B2種類あって、わたしはAでした。 ちなみにBは全国委員会女子によりお濃茶席。 お濃茶ですので、あまり写真はありません。悪しからず。 待合 小堀遠州筆 八万四千の法蔵に 否ねの袋 ふくれぬ …

宗恵の『一日一禅』 197

一粒万万倍(いちりゅうまんまんばい) わたしは日めくりカレンダーが大好きです。 毎朝その日の暦を確認しながら、前日の一枚をはがす瞬間がなんとも言えません。 そこに時々「一粒万倍日」とありますが、さてどういう日なのでしょう? 禅語としては 一粒の…

個展のお知らせ

ブログ開設当時からのお友達 備前焼の作家 greatzuma90さま が個展を開かれます。 11月17日(金)から 代官山ギャラリー 「無垢里」 どうぞご覧になってくださいね。

全国大会 二日目 日本海沿岸文化圏 薄茶席

二日目は朝からお茶席まわりをいたしました。 まずは我がとき青年部が属しております北陸信越ブロックと山陰ブロック合同の 日本海沿岸文化圏 薄茶席へ。 坐忘斎御家元筆 一行 楼船一挙風波静 花入 越前焼窯変 和伸造 香合 羅針盤蒔絵 修一造 金沢青年部の方…

宗恵の『一日一禅』 196

月在天水在瓶(つきはてんにあり みずはかめにあり) 可儔明弁(かちゅうみょうべん)という偉いお坊様に、ある僧が 「師の禅の特徴といえば何になるでしょうか?」と聞きました。 「雲は青天に在り、水は瓶にあり。」と明弁は答えました。 この句はこのお話…

宗恵の『一日一禅』 195

秋来黄葉落紛紛(あききたらば こうようおつることふんふん) 匡化(きょうけ)大師の名で知られる蔵嶼(ぞうしょ)禅師は 最高の悟りの境地について問われた時 「秋来たらば黄葉落ち 春至らば便ち花開く」 と答えたそうです。 秋になり葉っぱが黄色になり、…

宗恵の『一日一禅』 194

遥脱六根塵(はるかにろっこんのちりをだっす) 六根とは身体の六つの感覚器官 眼根・耳根(にこん)・鼻根・舌根・身根・意根を指します。 これらは感覚の入り口であると同時に執着の根源でもあります。 ですから常に清浄に保たなければならないのです。 美…

宗恵の『一日一禅』 193

紅葉舞秋風(こうようしゅうふうにまう) 冷たくなった秋の風に赤や黄色に色づいた葉っぱがひらひらと舞っている様子ですね。 散っていくはかなさと、 必ず秋には色づきそして落葉するという、普遍の摂理をあらわしているのでしょうか。 この句を見て、素晴…

芋煮会&お茶会後の出来事

楽しかった芋煮会&お茶会終了後 『中越大震災2周年 メモリアル展』が開催されている 「花と緑の館」へ行きました。 災害時の被災状況や自衛隊の活動の様子のパネル展示 地震によって失われた山古志の風景写真や絵画の展示 特産品のバザールもありました。 …

全国大会 第1日目 番外編

一日目のお昼のお弁当です。 東海ブロック衣浦青年部の「移動茶室」 一時間で組み立てて、30分で解体できる 4tトラックを利用した、お茶室です。 今回のリレー茶会もここで行われたそうです。 詳しい写真はこのページの最後に載っていました。

宗恵の『一日一禅』 192

秋露白如玉(しゅうろしろきことたまのごとし) 秋の朝、庭の葉っぱにまるで宝石のように露が丸く光っている、 という光景でしょうか。 古い歌に 白露の己が姿をそのままに 紅葉に置けば紅の玉 というのがあるそうです。 紅葉の上に置けばルビーになり 青葉…

芋煮会&お茶会

8日(日)は11月5日(日)に行う 「秋のばらまつり ばら園呈茶」の場所の下見に お茶の青年部の副部長U子さんと茶会委員のK子さんと3人で 長岡の国営越後丘陵公園に行って参りました。 生憎の風雨で、せっかくの咲き始めたばらを見ることができず、残…

宗恵の『一日一禅』 191

打破漆桶底(たはしっつうてい) 真っ黒い漆を入れた桶は、中に何が入っているのか見当がつきません。 悟りの光が見えずに迷妄の中にいる衆生の心の状態にたとえられます。 その桶の底を打ち破る、というこの言葉は 修行の成果が現れて、明るい悟りの世界に…