#短歌

春ぞ楽しき

さすたけの 君と語りて うま酒に あくまで酔へる 春ぞ楽しき 『新潟日報』朝刊第一面に、良寛さまの歌が毎日紹介されています。本日の一首。 画像は20日(日)に訪れた「ギャラリー 栞」の帰り道に目にとまった風景。 遠くに二王子岳を望む。 海岸沿いの砂丘…

君が袖振る

雪割草がチューリップに次いで新潟県の花になりました。画像は我が家にある雪割草。みなそれぞれビミョウに違います。 昨日・今日と暖かな良いお天気。新潟でも桜が開花しました。この時季になると頭に浮かんでくるのがこの歌。 『万葉集巻一』 天皇、蒲生野…

「気」:玉の緒よ

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする 式子内親王 わが命よ 絶えるならいっそ絶えてしまえ このまま生きながらえていたら 秘めた恋を押しかくす力が これ以上堪えきれず弱まるかもしれぬから 『田辺聖子の小倉百人一首』より この…

利休道歌 102(完)

規矩作法守りつくして破るとも 離るヽとても本を忘るな 規則は守らなくてはなりませんが、その規則を破っても 規則から離れてはいけない、本(もと)を忘れてはならない、ということです。 これは茶道を学ぶ人のために「守・破・離」という学びの段階につい…

利休道歌 101

もとよりもなきいにしへの法なれど 今ぞ極る本来の法 この歌は「昔なかったものを、今定めた」という意味で 利休のときに茶の道を大成したことを歌っています。 茶の湯は利休以前から行われていました。 室町時代には、上流社会で行われ、 その後信長、秀吉…

利休道歌 100

茶の湯とはたヾ湯をわかし茶をたてヽ のむばかりなる事と知るべし この歌は「茶の湯とはお湯を沸かして、お茶を点てて、飲むだけであるということであり 何も難しいことではない」ということを教えています。 この当たり前とことを当たり前にするということ…

利休道歌 99

茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち 青竹枯木あかつきの霜 この歌は「口切の茶事」を通して、茶の湯には陰と陽の調和が必要であることを歌っています。 「口切の茶事」とは開炉の季節の11月初めに、その年の春に茶師によって葉茶が詰められ 封印された茶壷を露…

利休道歌 98

かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚な 「茶はさびて」の歌を極端にいえば 釜一つあれば茶の湯はできる。数多くの道具を持つ事は愚かなこと。 身分相応ということを忘れてはいけません。ということでしょう。 この歌は、数多くの道具を持っ…

利休道歌 97

釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚な 釜一つあれば茶の湯が楽しめる、という意味ではないようです。 もちろん茶入・茶杓・茶碗・水指・・・ お茶を点てるのに必要な道具は一通り揃えておかなければなりません。 しかし、余分な道具は必要な…

利休道歌 96

茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合せにせよ 茶の湯は「質素にせよ」「華美でなく、贅沢にならないようにせよ」 これが「茶はさびて」である。 「心はあつくもてなせよ」は、招いた客に、なにはなくても心に満足を与えるように 不快な感じを起…

利休道歌 95

水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし 人をお招きし茶会を催す時、 水指の水・釜の湯・茶巾・茶筅・懐石の箸・菜箸・塵穴の箸・黒文字・点前柄杓・つくばいの柄杓など 新しいものを使います。 これがお客さまに対するご馳走になるわけです。 利…

利休道歌 94

茶を点てば茶筅に心よくつけて 茶碗の底へ強くあたるな お茶を点てる時、よく注意して、茶筅の穂が茶碗の底へ強くあたらないようにしなさい という大変わかりやすい歌です。 学校の体験教室で子供達に実際に茶筅をふってもらいます。 どうせ傷むから安いお茶…

利休道歌 93

習ひをばちりあくたぞ思へかし 書物は反古腰張にせよ お点前を習ってそれを一生懸命筆記する。 書いたものを見ているうちは、覚えたことになりませんよね。 いつまでも書いたものに頼っていては身につかない、という教えです。 書いたものを反古にするくらい…

利休道歌 92

目にも見よ耳にもふれよ香を嗅ぎて ことを問ひつヽよく合点せよ 前の歌と反対のようですが、自ら進んで何にでも興味を持ち 自分のものとしていくことによって、茶道の真の境地に近づいていく…。 「香を嗅ぎて」はお香を聞くことによって気持ちを静めなさい、…

揉み手(もみで)

今日のお稽古は「盆点(ぼんだて)」でした。 四ヶ伝という相伝物(お家元より許状をいただいてから稽古を許される課目)のひとつで 唐物の名物茶入、またはそれに準ずるものにお盆が添っているものの扱いです。 博物館でお茶入がお盆にのっているのをご覧に…

利休道歌 91

茶の湯をば心に染めて眼にかけず 耳をひそめてきくこともなし 昨日からずっとこの意味を考えています。難しいです。 「教外別伝 以心伝心 不立文字」という禅語があります。 奥義は教えようもなし、また習いようもない。自分で求め、自分で得なければならな…

利休道歌 90

稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへるもとのその一 お稽古をするには、一から二、三、四と順を追って十まで進み、 その次には再び初めの一に戻って、また改めて二、三、四と進みます。 初めて一を習う時と、十から戻って再び一を習う時とは 習う人の心は…

利休道歌 89

掛物や花を拝見する時は 三尺ほどは座をあけてみよ この歌もそのままですね。 床の掛物やお花を拝見する時は床から三尺(約90cm)離れて座って拝見します。 ですから床の幅が三尺ですから、床の前に座れば良いわけですよね。 待合など床のないところでは…

利休道歌 89

掛物や花を拝見する時は 三尺ほどは座をあけてみよ この歌もそのままですね。 床の掛物やお花を拝見する時は床から三尺(約90cm)離れて座って拝見します。 ですから床の幅が三尺ですから、床の前に座れば良いわけですよね。 待合など床のないところでは…

利休道歌 85

床の上に籠花入を置く時は 薄板などはしかぬものなり これは説明しなくても、そのままです。 普通 花入はそのものに水を入れ、花を生けます。 ですから花入の下に薄板を敷くのです。 しかし籠の花入れ中に水を入れる受筒があるので 外側の籠が薄板のかわりに…

利休道歌 87

板床に葉茶壷茶入品々を かざらでかざる法もありけり 板床というのは畳のない床のことです。 板のままですから、名物茶入れや茶壷などは本来かざることはできません。 しかし、茶壷の場合「奉書紙(ほうしょがみ)」を右にずらして半分に折り わさをお客さま…

利休道歌 86

盆石をかざりし時の掛物に 山水などはさしあひとしれ 現在では夜咄(よばなし・冬に日没から夜間にかけて催す茶会)以外の茶会には 茶席の床に盆石を飾るようなことはしませんが 利休およびその前後の時代の茶会には、床によく盆石が用いられたようです。 こ…

利休道歌 85

点前には重きを軽く軽きをば 重く扱ふ味ひをしれ 昔、お家元の業躰(ぎょうてい・裏千家の内弟子となって茶法の修業に励んだ者に与えられる呼称) になると、宗匠の教え方は厳格を極めたものであったそうです。 空の水指を、さも水を満たしたように持ち運び…

利休道歌 84

なまるとはてつづき早く又おそく ところどころのそろはぬをいう なまる、とは点前の手順を早くしたり遅くしたりして、揃わないことを言うそうです。 頭に入っているところは、さらさらと早く、 はっきりしないところは、考えながらゆっくりする・・・。 その…

利休道歌 83

一点前点るうちには善悪と 有無の心のわかちをも知る なかなか難しい教えです。 ひと点前中、体の構えも、柄杓の構えも、茶杓、茶筅・茶入の取り扱いなどすべて 最初に柄杓を蓋置に引いたときから、最後に柄杓を蓋置に引くまで 無我夢中になりなさい、という…

利休道歌 82

右の手を扱ふ時はわが心 左の方にあるとしるべし たとえば右の手にお茶杓を持っている時 左の手はきれいにそろえて、左のお膝に上にのせています。 習い始めの頃、右手ばかり気になって、先生から「左の手はお膝の上」とかよく言われました。 左手がどうなっ…

利休道歌 81

風炉濃茶必ず釜に水さすと 一筋に思う人はあやまり 風炉の濃茶点前の時、お茶を練る前にお釜にお水を一杓いれてから、お湯を汲みます。 これは風炉の時期は前の年のお茶を使う為、お茶の色香が失せているので 熱いお湯を入れずに、温度を調節しておいしく飲…

利休道歌 80

壺などを床に飾らん心あらば 花より上にかざりおくべし 口切の茶事(茶壷の封印を切り、その年のお茶を初めていただく茶人にとってのお正月の茶事)や 壺飾付花月(床に壺を飾り客がそれを拝見する作法がついた修練のゲームみたいなもの)の時 床に茶壷をか…

利休道歌 79

釣舟はくさりの長さ床により 出船入船浮船としれ 花入に釣舟という舟形をしたものがあります。 竹や砂張(さはり/銅を主にし錫・鉛・銀を加えた合金)で作られ 床の天井から鎖や籐づるでつるします。 床の高さによりつるす位置を考えなさい、ということです…

利休道歌 78

花見よりかへりの人に茶の湯せば 花鳥の絵をも花も置まじ 楽しいことは何度あっても良いのだけれど、お茶の席では重なることを避けます。 「きょうはお花見の帰りなんですよ。」というお客さまにお茶をお出しするのに 床に花や鳥の絵を掛けたり、花を生けて…