「気」:玉の緒よ

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
           忍ぶることの 弱りもぞする    式子内親王

わが命よ
絶えるならいっそ絶えてしまえ
このまま生きながらえていたら
秘めた恋を押しかくす力が
これ以上堪えきれず弱まるかもしれぬから    『田辺聖子小倉百人一首』より


この歌は百人一首の中で一番好きな歌です。
人気投票をしたらつねに1、2位を争うのではないか、
田辺聖子さんも書いています。
昔からの伝説で藤原定家内親王は恋仲であった、ということになっています。
治承5年(1181)正月3日に20歳の定家は父・俊成に連れられて、
内親王の御所にはじめて参上します。
定家の日記『明月記』には、
「薫物(たきもの)ノ馨香(けいこう)、芬馥(ふんぷく)タリ」
とあり、御簾のうちにあらわれた内親王の室内には、
たかれた香の匂いが濃密にたちこめていた様子が書かれています。
この日から自分より8、9歳年長の才たけた貴婦人に、
あこがれを募らせていきました。

この伝説をもとに作られた謡曲「定家」があります。
昔むかし、わたしがお勤めしていた時、支店長の代わりに
京都観世会館にこの演目を観に行ったことがあります。
翌日、わたしは内親王にとり憑かれたのか頭が割れるように痛く、
起きられなかったことを今でもよく覚えています。
内親王の「気」がわたしに乗り移ったのかも知れません。
去年あたりから「気」というものを感じるようになって、以前にも書きましたが、
人と人が出会うのに偶然はないそうです。
お互いの「気」が引きつけ合うのだそうです。
長男も関心を持っているらしく、それは物理学的に「量子力学」で証明される、
と言っていました。人と物にも当てはまる体験をやはり去年いたしました。
量子力学」を勉強したいですね。

百人一首の中の藤原定家の歌もご紹介します。

来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
         焼くや藻塩の 身もこがれつつ

待っても来ないあの人を
わたしは待っています
松帆の浦の夕凪のなか
藻塩焼く火に
さながら わが身も
じりじりと焦がれるばかり
恋に悶えながら・・・・・・             『田辺聖子小倉百人一首』より


昨晩、あるブログを見ていたら小野小町の歌が思い浮かびました。
百人一首では

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

ですが、思い浮かんだ歌は

想いつつ・・・で始まる歌です。