茶の湯 あいうえお

「わ」・・・和敬清寂(わけいせいじゃく)

長らくお付き合いいただきました「茶の湯 あいうえお」 今回の「わ」をもって終わりとなります。 「わ」はなんと言っても和敬清寂ですね。 利休さんの茶道精神を要約した言葉です。 「四規」といわれ「利休七則」と合わせて「四規七則」と称されます。 この…

「ろ」・・・炉開き(ろびらき)

民間では主として十月亥の日、とくに中の亥の子の日と称して、中旬に炉を開いて小豆餅で祝います。 『茶湯三伝書』には「いろりの初は九月朔日頃より三月晦日頃まで、風炉の初は四月朔日頃より八月晦日まで」 とあるそうです。 今とは…違いますね。 裏千家宗…

「れ」・・・蓮華庵(れんげあん)

川上不白が宝暦5年(1755)神田明神境内に造立した茶室。 三畳敷道庵囲台目切で、床前に一尺三寸二分の前板を入れ、 床脇に利休の肖像を祀る場所を設け、茶道口から踏込む所は板張りとしていました。 床柱は建長寺の古材の太柱が使われていたそうです。…

「る」・・・呂宋(るそん)

フィリピンのルソン島から渡来したと伝えられる陶磁器の総称。 南蛮水指などもその一種と考えられますが、一般的には四耳ないし三耳の付いた壺をいいます。 もっともルソン島産とするのは誤りで、中世の貿易船がルソン島経由で来たからにすぎません。 当時わ…

「り」・・・利休堂(りきゅうどう)

利休堂(りきゅうどう) 三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)には千家の祖である利休像を祀る利休堂(祖堂)があります。 裏千家の4代仙叟宗室が元禄3年(1690)利休百年忌に際し利休堂を建立し、仏師隠達作の像を祀ったのが最初です。 それは三畳…

「ら」・・・楽焼(らくやき)

京都の陶家楽家代々の焼成品、またそれと同様の手捏ねの軟陶の総称。 天正(1573~92)の初めごろ帰化人飴也が創始したもので、田中宗慶が秀吉から「楽」の金印を拝領したことから楽焼の称がおこったものと思われるが、初代長次郎が聚楽第で製陶し、聚…

「よ」・・・吉野棚

吉野棚・夏用 吉野棚・冬用 圓能斎好み。 吉野太夫が好んだ二畳の席の吉野窓から意匠された小棚。 四本柱には吉野丸太のごく細いものを面皮付で用い、 客付は円窓を刳抜き、勝手付は冬は障子、夏は葭戸をはめる。 勝手柱に竹釘が打ってある。 ☆吉野太夫(1…

「ゆ」・・・雪間の草の歌

藤原家隆の 花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや 家隆歌集『壬二集』所収 利休の愛誦歌だと『南方録』に見えます。 浦の苫屋の歌とともに茶道歌として有名です。 雪国に暮らしてみて、この歌の良さを身に沁みて感じます。

「や」・・・山里棚(やまざとだな)

画像はこちらをご覧ください。 利休が大阪城内の山里の席で使ったのが始まりとされ、 のちに藪内剣仲に与えられ藪内家の代表的な棚となりました。 桐木地で、天板の客付を斜めに取ってあり、三本柱。 地板は砂摺りになっており、天板・地板ともに縁に竹が張…

「も」・・・藻塩(もしお)

中興名物※。瀬戸破風窯※渋紙手※茶入。 茶人の侘びた景に因み『古今和歌集』の 「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩垂れつつわぶと答へよ」 の歌を引いて県宗知※が命銘・箱書しています。 県宗知から松平左近将監乗邑に伝わり、さらに堀田相模守正亮、竹…

「め」・・・名水点

名水を用いてお茶を点てることをいいます。 流儀によって約束はありますが特に決まった茶法はなく、名水の扱いともいいます。 ただ、名水であることを客にあらかじめ知らせるために、水指に注連縄を張ったり またすでにその水が釜に入れられている場合は、釜…

「む」・・・無色軒

京都裏千家の茶室。仙叟好みと伝えられます。 天明8年(1788)大火後に再建されました。 寄付に相当する座敷で、五畳敷に一畳の広さの槫縁張りがつき、 それに続く一畳を点前座とし、その向い側の一間を張付の壁床としています。 点前座には炉を向切と…

「み」・・・海松貝(みるがい)

文様の一種です。 海松(みる)は海草で、水松とも書きます。 濃緑色で円柱形肉質の幹が多数に分枝しています。 蒔絵や陶磁器その他茶道具の意匠としてよく使われます。 海松に貝をあしらったものを「海松貝」 波をあしらったものを「海松浪」 と称します。 …

「ま」・・・真中古(まちゅうこ)

瀬戸茶入の一分類です。 金華山・破風窯の中古窯に対して一手古いことでその名があり 古瀬戸に続くとされています。 伝承によれば2代目藤四郎基通の作品といわれ 鎌倉時代中期から末期の作と伝えられていますが 実際は室町時代の作と考えられます。 同窯に…

「ほ」・・・盆略点前(ぼんりゃくてまえ)

盆略点前は立礼式とともに裏千家独特の点前で、13代円能斎の創案です。 裏千家に入門して「割稽古(わりけいこ)」といって おじぎの仕方・立ち方・襖の開け閉め・袱紗の扱い 棗の拭き方・茶杓の拭き方・茶筅通し・茶巾の扱い・茶碗の拭き方・柄杓の扱い …

「へ」・・・紅茶筅

茶筅の一種です。 裏千家11代玄々斎のお好み。 普通の茶筅は黒でかがってありますが 紅緒でかがった茶筅です。 還暦や祝い事の茶会に用います。 昔からあると思っていたのですが 玄々斎のお好みなんですね。 他の流派では使わないのでしょうか?

「ふ」・・・筆柿香合

香合の一種です。 裏千家代11代玄々斎のお好みです。 明石人丸神社前に筆柿という実の小さい柿の木があり この干し柿が神社のお守りに出されていました。 この筆柿の枝を使って好んだ香合です。 数は4個できたので、四君子にちなみ 蘭・梅・菊・竹と銘が…

「ひ」・・・挽家(ひきや)

茶器を保存する容器の総称です。 主に茶入を仕覆に入れて納めるものを指し、木の挽物でできているところから 「挽家」といいます。 およそ棗形に作られていて、蓋の甲に金や銀で銘などを蒔絵描きしてあります。 これを「字形(じぎょう)」といいます。 さら…

「は」・・・花所望

はなしょもう 小習事(こならいごと)の一つです。 小習事とは入門して次に許される相伝種目。 花入が名物であったり、連客や連客と因縁の深い人から到来した時や 珍花や心入れの花をもらった場合に 亭主自ら花を挿さず、客に所望して生ける作法です。 また…

「の」・・・ノンコウ

慶長4年~明暦2年(1599~1656) 楽家3代、道入のことです。ノンコウは通称。 長次郎が利休と出会ったように、ノンコウは利休の孫・宗旦に出会い 素晴らしい作品を残しました。 また本阿弥光悦とも親しく、作品にその影響が見られることは 昨年楽…

「ね」・・・練香

「煉香」とも書きます。 沈香・麝香など数種類の漢薬香料の細末を合わせ、松脂や蜂蜜・梅肉で練ります。 昔の公家は各々の家独特の秘法で香を練り、銘をつけました。 炉の炭手前には練香を用い、香合は陶磁製で 木地や塗り物の香合を使う場合は、椿の葉を敷…

「ぬ」・・・ぬるい

「ぬるい」は漢字で表すと「温い」。 なまあたたかい・ゆるやかだ・頼りない などの意味があります。 茶の湯では、点前の実技、亭主の心入れ、器物の評価、取り合わせの巧拙など さまざまに用いられます。 点前が通りいっぺんで思い入れが感じられない場合や…

「に」・・・仁清七窯(にんせいなながま)

御室・御菩薩(みぞろ)・岩倉・清閑寺・押小路・鳴滝・粟田口 の七窯を言うそうです。 いずれも初期京焼を構成した陶器の一種です。 仁清は丹波国北桑田郡野々村(京都府北桑田郡美山町)で生まれ 名を清右衛門といい、元来丹波焼の陶工でした。 正保4年(…

「な」・・・七ひずみ

風炉の七つ捻りともいわれ、目立たないように少しずつ格をはずし 自然になるようにすることです。 流派によって違うようですが、概ね次のように言われています。 1、風炉はわずかに客付へ捻る。 2、釜は勝手へ少し捻る。 3、五徳はわずかに前へよせ、一つ…

「と」・・・桐蔭会

現代茶会のひとつです。 豊臣秀吉の遺徳を偲ぶ目的で、京阪神の数寄者を中心に組織され 京都阿弥陀ヶ峰の豊公廟下の太閤坦に今日庵の発起で 昭和9年、茶席「桐蔭席」が設けられました。 毎月1日・18日に裏千家の後援で月釜がかけられています。 春秋2回…

「て」・・・天命釜(てんみょうがま)

下野国佐野庄天命(栃木県佐野市)で作られた茶の湯釜。 最古の遺品は文和元年(1352)の年紀の見える鎌倉極楽律寺の尾垂釜です。 多くは梵鐘などを鋳造していましたが、茶の湯釜の需要により 東山時代から釜の製作に移ったようです。 古く地名は「天明…

「つ」・・・堆朱(ついしゅ)

彫漆の一種です。器胎の上に朱漆を何百回も塗り重ね そのつど下漆の艶を消し、最後に文様を彫り出します。 中国唐代に始まったと思われ、宋代に盛んになり 日本には鎌倉時代に伝えられました。 室町時代には茶道具として珍重されますが 現存する遺品はほとん…

「ち」・・・茶の十格

茶事を催す時の心得です。 出雲国松江の藩主で大名茶人の松平不昧が 『一畳半極秘』の中に記しています。 口切りは「厚」 再返は「浅」 風炉は「薄」 名残は「寂」 朝は「清」 昼は「正」 夜咄は「常」 不時は「奇」 跡見は「続」 残火は「新」 とあります。…

「た」・・・旅箪笥(たびだんす)

利休好みです。 利休が小田原の役に従軍の際、旅行用の茶箪笥として考案されたと言われています。 桐木地の四方箱で、倹飩(けんどん)式の前戸がはめられ 落とし込みの金具がついていて、引き手金具になります。 左右両面には持ち手の桟がついています。 内…

「そ」・・・宗旦狐(そうたんきつね)

茶の湯伝説。深田正韻著『喫茶余禄』に記載されています。 京都相国寺の境内に年老いた狐が棲んでいて 夜寒の頃、千宗旦※に化けて近辺の茶人を訪れ 茶を喫しお菓子を食べて帰ることがしばしばあり いつしか誰もがそれを老狐と知りつつ風流を楽しむようになり…