宗恵の『一日一禅』 188

金風吹玉管(きんぷうにぎょっかんをふく)


玉で作った笛が秋風によって吹き鳴らされて美しい調べを奏でているという

風そよぐ秋の茶席に最適の句であるが

これは『臨済録』に収められる臨済義玄と平(びょう)和尚との問答の中に現れる。

平和尚に黄檗禅師の近況を尋ねられた義玄は

「素晴らしい説法を常に聞いておりますが、内容を全く忘れてしまいました」

と答えた。それに対する平和尚の言葉が

「金風玉管を吹く、那箇か是れ知音(ちいん)」

秋風に吹き鳴らされる玉の響きのような黄檗の説法を聞き分けられる人物は

今の世の中にいるだろうか、であった。

私だけにそれができる、という自負が言外に示されている。

『淡交テキスト 茶席の禅語 10月』より



いくら素晴らしいお話を聞いても、それを聞く側のわたし自身が

そのお話を受け入れるだけの理解力がなければ、意味がないということですね。

同じ人のお話を聞いても、その理解の仕方が全く違うのにびっくりすることがあります。

白洲正子さんの言葉に「説明すればなんでもわかるというものじゃない」

というのがありますが、つくづくそうだなぁ、と思いますが、みなさんはいかが?


今日はこれから淡交茶会の最終打ち合わせで会場に行きます。

来年の地区大会の予行演習?を兼ねてのお茶会なので、支部として力が入ってます。

あ~、いつになったら全国大会の様子アップできるかなぁ…。