宗恵の『一日一禅』 39

何似(かじ)


「何如」と同じように用いられ「どうか?」という問を発する際の語です。

「何似生(かじさん)」という形で使われることもあるそうです。

禅道場では、毎日「どうか?」の繰り返しです。

答えに窮して追い詰められ、逃げ出す一歩手前まで至ることもしばしばあるそうです。

そこで「自我」を捨てると道が開けてくるとか…。

ただ漫然と日々暮らしているのでなく、常に自分自身に「何似」と問い掛けてみることにいたしましょう。