陰陽師 安倍晴明

安倍晴明(921~1005)の生誕については正確にはわかりません。
父 安倍益材(ますき)は大膳大夫(内裏における調理や食料の管理などを司る長官)であり
陰陽道とは関係ない人物でした。
少し前の「晴明さま」ブームでは、安倍晴明は若くてステキな青年陰陽師でしたが
果たしてその実像は・・・。

彼は40歳でようやく天文生(陰陽寮の天文道学生・定員10名)の
修学年限を終え、天文得業生の地位にあり、47歳で陰陽師になりました。
陰陽師従七位上相当官で序列は極めて低く、雅な貴族どころか
貧乏長屋暮らしの食い詰め役人といったところでしょうか。

その後52歳で天文博士になりました。天文博士陰陽頭を介さず直接摂関に異変を
知らせることができます。そして66歳で蔵人所陰陽師となり天皇のそば近くに控え
天皇家外戚となって政治を欲しいままににしていた藤原兼家・道隆・道長
大変気に入られました。
そして81歳で従四位下まで登りつめたのです。
安倍晴明にとって 66歳からなくなる85歳までが活躍期間でした。

美青年 安倍晴明は後に作り上げられた「伝説」なのですね。