日本における陰陽道の成立 2

陰陽道を国家的に受け入れたのは天武天皇です。
日本書紀』には、天武天皇大海人皇子(おおあまのみこ)であった時に
天文・遁甲を自ら行ったとし、壬申の乱に際しては黒雲の拡がるのを見て
陰陽五行説による式盤(ちょくばん/円形の天盤と方形の地盤からなり、天盤を回転させて
それぞれの盤に刻した文字の組み合わせによって占う)による占いを行い勝利を予言しました。

即位後の天武4年(675)には占星台を設置し、
陰陽寮(おんみょうりょう/天文・陰陽方術を扱う役所)と
外薬寮(げやくりょう/陰陽道医薬方術を扱う役所)を設けたと記しています。
ここに国家陰陽道が成立したと言って良いでしょう。

☆ちょっと一服☆

大海人皇子とくれば額田王(ぬかたのおおきみ)でしょう。

万葉集 巻の一』

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守りは見ずや 君が袖振る   額田王

紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも   大海人皇子

しばし万葉の世界のロマンにひたるのもいいものですね・・・。   つづく