数にまつわるお茶の話 「七」
「遠州七窯(えんしゅうなながま)」
☆小堀遠州(こぼりえんしゅう)1579~1647
作事奉行として、伏見城・駿府城・内裏・二条城・大坂城
江戸城西之丸・桂離宮などの造営を主管する。
古田織部に茶の湯を習い、織部のあとを継いで、将軍家の茶道師範として
家光のお相手をつとめた。
その伝統は「遠州流」として現在に至っている。
「遠州七窯」はその遠州が各地の陶窯を指導して改良させたうち
特に遠州好みの茶器を造った七つの窯を呼ぶ。
遠江国(静岡県)の志戸呂(しとろ)
近江国(滋賀県)の膳所(ぜぜ)
豊前国(福岡県)の上野(あがの)
筑前国(福岡県)の高取(たかとり)
山城国(京都府)の朝日(あさひ)
摂津国(大阪府)の古曾部(こそべ)
大和国(奈良県)の赤膚(あかはだ)
の七窯です。書物によっては、古曾部を除いて
伊賀国(三重県)の伊賀を加えているものもあります。
実際に指導したことがわかる窯は
志戸呂・膳所・上野・高取・伊賀であり朝日焼の作品は
今のところ見当たりません。
古曾部・赤膚については遠州以降の開窯になると思われるので
疑問が残ります。
☆小堀遠州(こぼりえんしゅう)1579~1647
作事奉行として、伏見城・駿府城・内裏・二条城・大坂城
江戸城西之丸・桂離宮などの造営を主管する。
古田織部に茶の湯を習い、織部のあとを継いで、将軍家の茶道師範として
家光のお相手をつとめた。
その伝統は「遠州流」として現在に至っている。
「遠州七窯」はその遠州が各地の陶窯を指導して改良させたうち
特に遠州好みの茶器を造った七つの窯を呼ぶ。
遠江国(静岡県)の志戸呂(しとろ)
近江国(滋賀県)の膳所(ぜぜ)
豊前国(福岡県)の上野(あがの)
筑前国(福岡県)の高取(たかとり)
山城国(京都府)の朝日(あさひ)
摂津国(大阪府)の古曾部(こそべ)
大和国(奈良県)の赤膚(あかはだ)
の七窯です。書物によっては、古曾部を除いて
伊賀国(三重県)の伊賀を加えているものもあります。
実際に指導したことがわかる窯は
志戸呂・膳所・上野・高取・伊賀であり朝日焼の作品は
今のところ見当たりません。
古曾部・赤膚については遠州以降の開窯になると思われるので
疑問が残ります。