宗恵の『一日一禅』 85
「茶禅一味」という言葉がある。これは「茶仏一味」と言い換えてもいいかも知れない。
利休居士は言った。
「小座敷の茶の湯は、第一仏法を以て修行得道する事也。……
水を運び、薪をとり、湯をわかし、茶をたてて、仏にそなへ、人にもほどこし、
吾ものむ、花をたて香をたく、みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶ也」
人は普く仏性を有しているから、茶によって人をもてなすことと
仏に施しをすることに本質的な相違はない。
自らの仏性を明らかにするための行として茶をたて、客の内なる仏性を敬いつつ
施してこそ利休居士の心に適うというものであろう。
『淡交テキスト 茶の湯の禅語編 4月』より
事あるごとに、お抹茶をいただいてもらおうと、点ててさしあげるようにしています。
心を込めて点てたお茶を「美味しい」と言ってくださる度に、幸せな気持ちになります。