宗恵の『一日一禅』 43

春来草自生(はるきたらば くさおのずからしょうず)


わたしたちが禅について学ぼうとする時、難しい本を読んだり坐禅をしたりといろいろ努力しますが

この句はもっと身近なことに目を向けなさい、と言っているのではないでしょうか。

春が来れば自然に草が生え、秋になれば葉が落ちるというような身の回りのできごとの中に

仏法が現れているのですよ、と教えています。

あたりまえのことをあたりまえに…

この「あたりまえ」が今あたりまえでなくなっている、と感じるのはわたしだけ?