宗恵の『一日一禅』 6

関 (かん)


禅には数多くの公案(こうあん・悟りの手がかりとして与えられる課題)があります。

『碧巌録』(へきがんろく・中国宋代の禅の本)の中の「雲門の関」は

容易に通ることのできないものの一つとされています。

「関」とは様々な関門の意味ですが、わたしたちはだれでも大なり小なり

色々な意味での関門を通り抜け、あるいは通りつつあり、またこれから通ろうとしています。

そしてこの関門を通り抜けるたびにに成長していき

それが積み重なって人それぞれの人生が作り上げられていくのですね。

わたしはとっくに「子離れ」という「関」を通り過ぎたと思っていましたが

まだ通っている最中なんだな、と実感しています…。

銘が「関」のお茶杓を持っています。

でも、あまりに銘が重くてというか立派で、いまだ使ったことがありません。

いつかこのお茶杓でお茶会をやってみたいと考えていますが…。