「孤高の庭匠 田中泰阿弥展」に行って来ました(1)

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昨日、新潟市蒲ヶ沢(旧新津市)にある新津美術館に
とき青年部OBの建築家M氏が主催する田中泰阿弥研究会による
「孤高の庭匠 田中泰阿弥展」を見に行きました。

6年前にも作品展が行われましたが、研究が進み新たな資料がそろい
また書簡や書画詠草の数々、そして泰阿弥愛用の茶道具など
大変雅趣あふれる作品展となっていました。

ここで簡単な田中泰阿弥の年譜を紹介いたします。

明治31年(1898) 0  新潟県刈羽郡中鯖石村に笠原為治の次男として生まれる。
               泰治と命名
大正 1年(1911)13  父死亡。兄の米作の造園業を手伝う。
   7年(1918)20  京都岡崎の庭師中村万次郎方に修行に行く。
   8年(1919)21  この頃、茶道の稽古を始める。
  10年(1921)23  「植治」小川治兵衛方に入る。
  14年(1925)27  田中家に養子に入り田中泰治となる。
昭和 1年(1926)28  庭師として独立する。
   2年(1927)29  京都銀閣寺茶席の露地作庭
   4年(1929)31  結婚。銀閣寺「洗月泉」の石組みを発見し発掘および修復。
               銀閣寺出入りの庭師となる。銀閣寺の茶道の稽古に加わる。
   6年(1930)33  銀閣寺「相君泉」の石組み発見し発掘、修復。
               古庭園発掘復元が重要な一領域を占め、その名が知られるようになる。
  12年(1937)39  京都等持院庭園復元
  13年(1938)40  京都天龍寺庭園復元
               京都金閣寺出入りの庭師となる。
  15年(1940)42  新潟県新発田藩下屋敷「清水園」庭園作庭に関わるが
               戦争のため延期。
  16年(1941)43  京都西芳寺苔寺)指東庵枯山水作庭
  17年(1942)44  京都高台寺「傘亭」復元
               京都相国寺庭園復元 
               京都金地院庭園補修
               京都智積院庭園補修
  26年(1951)53  「泰阿弥」を名乗る
  28年(1953)55  新潟県新発田「清水園」作庭開始
  29年(1954)56  新潟県沢海伊藤邸(北方文化博物館)作庭開始
  32年(1957)59  「清水園」完成
  33年(1958)60  伊藤邸庭園完成
  38年(1963)65  鎌倉長谷の大仏廻り整備
               相国寺茶室設計
  45年(1970)72  鎌倉瑞泉寺「鶴亀の庭」作庭
  46年(1971)73  山形県鶴岡市「致道博物館」庭園修復
  48年(1973)75  金閣寺土塀新設工事
  51年(1976)78  鎌倉 宗偏流道場 庭園作庭
  53年(1978)80  逝去

この他にも新潟や特に関東地方の個人のお庭もたくさん手がけています。
あのお寺もこのお寺もそうなんだ、と思う方がたくさんいらっしゃるのでは。   つづく