「鈍翁茶会」参加の記 ― 益田鈍翁について

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ここで「鈍翁茶会」の鈍翁についてお話いたします。
(なかなかお茶会にたどり着けない・・・)

益田鈍翁(ますだどんのう)1847~1938

佐渡奉行所役人の孝義の長男として佐渡相川に生まれる。名は孝。
三井物産の社長となり三井財閥を大成し明治・大正の大物財界人のひとり。
実弟の克徳(東京海上明治生命王子製紙・鐘紡・石川島造船所などの社長を歴任)
の影響で始めた美術品・茶道具の収集は他の数寄者の追随を許さない。
茶の湯を不白流川上宗順に学ぶ。
末弟の英作ともども「数寄者三兄弟」として評判が高かった。


その鈍翁の茶会が何故、山形で?となるわけです。

山形の素封家のお嬢さんが東京のお金持ちに嫁がれ
晩年、家にあった元鈍翁所持の蹲(つくばい)と灯篭を山形市に寄附されました。
そこで山形市は、荒れていた現在のもみじ公園を整備し、中村昌生氏に設計を依頼し
お茶室を建てて蹲と灯篭の安住の場所ができました。
聞き書きなので、もし違っていたら教えてください!)

もともと、文化的なことに関心のある山形市民のお力により
鈍翁にちなんだお茶会を開こう、ということで今日に至っている訳です。
今年で21回目となります。

前日お伺いした菊池保寿堂の奥様から、朝の7時半には受付しないと
お席に入るのが午後になるとお聞きしていたので、どうしようかと考えていたのですが、
こまくさ青年部副部長のSさんが淡交会山形支部の幹事長の先生にお願いしてくださり
10時にお席入りさせていただくことができました。ありがたいことです。
土曜日は800人のお客様だったそうで、日曜日は1000人の予定だそうです。

10時15分前に清風荘・宝紅庵に参りますと、交流会でご一緒だったI君が
お出迎え。こまくさ青年部の3名ととき青年部9名計12名でお席まわりをいたしました。

やっとお茶会にたどりつきました。つづきは明日!