近江の商家のくらしとやきもの

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 ただ今、滋賀県甲賀市信楽町にあります「滋賀県立陶芸の森 陶芸館」において『近江の商家のくらしとやきもの』が開催されています。椎親父さまより図録と招待券を送っていただきました。湖国を拠点に商品流通を展開し、農業中心の自給自足経済から近代経済社会への道を切り拓いた近江商人をテーマに、商家に関わったやきものを紹介しています。
 現在の近江八幡市八幡商人は近江商人のなかでも最も古く、豊臣秀次により城下町が整備された頃にはじまると言われています。椎親父さまはその老舗のお生まれ。近江商人の当主たちは、茶の湯宗匠を招いて指導を受け、頻繁に茶会や句会を催していたことが、記録に記されています。
 わたしの伯母はやはり近江商人のひとつ東近江市五個荘五個荘商人のもとに嫁ぎました。伯母の家の近所には経済界の重鎮の生家が点在し「ここは〇〇さんの家」「ここは△△さんの家」と教えてもらったことがあります。また五個荘裏千家と大変に深い関わりのある土地です。が、そのお話はまた後日。
 小さい時に「近江商人の東後家(あずまごけ)」という言葉を両親から聞きました。近江商人は、他国で店を設けても、そこで働く奉公人は、全て近江の本宅で採用しました。支店で働く人々は男性のみで、家族を郷里においての単身赴任。基本的に盆と正月の数日以外に郷里に帰ることはありませんでした。その話を聞いて幼いながら「近江商人とは結婚したくない」と思ったものです。
 相方くんがわたしと結婚するにあたり、勤め先を県にするか市にするかで、市を選択しました。県ですと中越上越地方の調査になると週末にしか帰ってこられません。おかげさまで20数年お弁当作りの毎日です。ブログのお友達でご主人がもうすぐ単身赴任される方がいらっしゃいます。たまには夫婦別々に暮らすのも新鮮でいいかも。




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 先日お話しました大阪デートでこんな光景を目にしました。最後尾はこちら・・・え~何だろう・・・。あらら、椎親父さまが立ち上げられた「クラブハリエ」のバームクーヘンです。近江八幡市の本店以外、日本橋三越本店にしかなかったお店を大阪の阪神デパートに出店し、毎日行列なんだそうです。

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 阪神デパートバージョンの虎の包装紙と箱。

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 美味しくいただきました。ちなみにこのホワイトキルトはわたしが作りました。