ふるさと:『粉粧楼』

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朝方、強い雨音で目が覚めた。
まだ起きるのには早い時間。
天井を眺めた。年輪って、面白い。
そういえば東京で住んでいた家の天井の年輪は、馬の顔みたいだった。
わたしは京都で生まれ、大阪に移り、そして
幼稚園から中学2年まで、東京の品川に住んでいた。
京浜急行の青物横丁っていう駅のすぐ近く。仙台坂を下ったところ。
空襲で焼けずに残った大正時代に建てられた家。
昔は何かの問屋さんだったそうだ。
父が勤めていた会社の借り上げ社宅。
いくつも部屋があり、どの部屋にも床の間と違い棚があった。
「開かずの間」もあり、友達にとって恰好のかくれんぼの舞台となった。
今もその家はあるのだろうか・・・。

中学3年の時に横須賀に家を建て、大学卒業までそこに住んでいた。
当時「神奈川方式」とかいう受験制度で1・2年のアチーブメントテストを受けていないという理由で、希望する高校を受けさせてもらえなかった。でも希望した大学に入れたので良しとしよう。

両親は、本当は一生横須賀で暮らすつもりで家を建てたのだろうが、父の仕事の関係でまた京都に戻った。
横須賀の家は数年前に新しい家に建て替えられたそうだ。

相方くんはこの地で生まれ育ち、現在もここに住んでいる。幼稚園から高校までの友達も大勢いる。毎年、中学の同級会をやっている。
わたしはというと・・・実家に帰っても昔の友達がいる訳でもなく・・・わたしのふるさとってどこなんだろう・・・
と毎年お盆の季節になると思うのでした。