箱書

21(土)は以下の記事を書いていたところに、某テレビ局の報道部デスクをやってる従弟から電話が。「今からそちらへ行く」。
中越沖地震の取材クルーの責任者として来ていたそうだが、後は地元局にまかせて帰るので、せっかく新潟に来たのだから・・・ということでレンタカーでやって来ました。
先回彼と会ったのも3年前の地震の時。なんてったって「災害担当」。お疲れさま。
今度、六本木に行った時にはいろいろ案内してもらいましょう。
ということで、土曜日はブログお休みしちゃいました。


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社団法人 茶道裏千家淡交会の機関紙『淡交タイムス』7月号の巻頭に
「箱書の意味」としてお家元さまは文を寄せておられます。
お家元を継承後「居心地の良い茶の世界をつくることが目標」とされ、
今回「箱書」について見直されるとのこと。大変うれしく思いました。

やはり暗黙のルールとして釜を懸ける(この世界ではお茶席を持つことをこのように言います)時「お箱書がなくちゃね」というような雰囲気があるのは確かです。
「本来、席主を務めるにあたり、箱書のあるお道具をお持ちでないからといって、わざわざ揃える必要はないのです。」
「肩書きや服、着物・装飾品がその人の価値を決めるのではないのと同様、箱書のあるなしによって道具そのものを評価するのは、本末転倒と言えましょう。」
お家元さまは今後、ごく限られた場合を除いて、箱書はご遠慮なさるそうです。しかし、箱書を否定するものでなく、箱書は「本来「極め」であり「どうしても「極め」を必要とされるものについては別ですが、そのままで充分な道具はご遠慮したいと存じます。」とお書きになっていらっしゃいます。

「箱をお持ちでお出しになられる方はそうされればよろしいですし、お持ちでない方は無理して揃えられる必要はありません。要は、招く側・招かれる側がそれぞれに”箱がある・箱がない”に執着しない心を持っていただきたいのです。どうか、皆様方には私の考えをご理解いただき、懸釜に対する先入観を捨ててください。茶道具が本来の価値観に立ち返るためにも、外の箱ではなく道具そのものの姿を楽しむ感性を共に養っていこうではありませんか。」

※「」内は原文をそのまま引用させていただきました。

これを拝見して、どれくらいの方がホッとなさったことでしょう。また、これからお茶を習ってみたい、と思っていらっしゃる方々がお道具のお話を耳にされ「やっぱりわたしたちとは別の世界だわ」と感じることなく、お茶の世界に足を踏み入れることができるのではないでしょうか。



箱書・・・茶器類を入れた箱の蓋や、掛物の箱の蓋の甲または裏に、収納する品物や作者・筆者などの名を書き記すこと。書付ともいう。一般には墨書によるが、漆書や蒔絵による字形をおく場合もある。また張紙になることもある。公卿・大名らは蓋の甲に、宗匠・茶人らは蓋裏に書き、甲書きの場合は同面に署名や花押を書くことはない。署名・捺印・花押のみ蓋裏に行う。箱書は元来その茶器をつくらせた人、茶器として採り上げた人、それを所持愛玩した人などによって書かれるものであるが、所持者などの依頼によって、有名茶人や宗匠たちが行う場合も多い。したがって箱書は極書と性格を異にするもので、鑑定よりむしろ鑑賞に重点がある。

書付・・・鑑定書の一種。紙に書いて添えるもの、箱に認めておくものなどさまざまであるが、筆者の鑑識力や地位などが重んぜられる。箱に書かれたものは箱書という。


極書・・・鑑識の結論を簡略に書付けたもので、極状・極札・紙中極・奥書・箱書などの形式をとる。

極箱・・・陶磁器・漆工芸品・金工芸品などの箱の、蓋または身の側面や底などに極書があるものをいう。作者が自ら行う場合は共箱といい、遺族・末孫・弟子や鑑定家によってなされた場合を極箱という。共箱のない場合この形式を取ることが多い。

『原色茶道大辞典』淡交社刊 より