地霊のたたり?:『京都炭屋 おもてなしはお茶の心で』

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昨年9月末に裏千家青年部全国大会が京都であり
そのオプショナルツアーで行った「炭屋旅館」。
あちらでもこちらでも記事にしましたが
そこの先代ご夫婦と現女将さんのお話の聞き書きの本を見つけました。

『京都炭屋 おもてなしはお茶の心で』 2006年12月12日 草思社

先代の堀部公充(こういん)さんは平成16年(2004)に亡くなられましたが、
裏千家の老分という大役についていらっしゃった方で、
「炭屋」はお茶事のできる旅館として知られています。
公充さんは奈良の御所(ごせ)の山持ちの家に生まれました。
吉野の山から紀州にかけての材木を伐り出して売って、田地は小作人に耕してもらっている、
という気楽なお家のお父様は考古学に凝っていらっしゃいました。
考古学の教授について発掘のお手伝いをされていました。
大正から昭和の始めの頃のことですので、だいたい何先生か想像できますね。
公充さんはお父様のことを人に聞かれると
「なんや知らんけど、とにかく岩を掘りに行ってはるのや」と言っていたそうです。
本文から引用します。

親父がそんなんで、あんまり考古学に凝ったりするもんやから、一時、神経衰弱になってしもうてね。
「それは、あんまり昔の人の墓なんかを暴いたりするから、その業がたたって体の調子が悪うなるのや」
と人にも言われて、だいぶシュンとしていたような時代もありましたな。それから、
「もう、そんなことはやめて、あんさん、お茶をやりなはれ。お茶は精神の安定によろしいでえ」
そういうアドバイスをしてくれた人があったんですね。
さすがの親父も、もうこれはあかんと観念したらしく、殊勝にも、お茶を始めることになるわけですよ。
それで、庭の一部をつぶしてお茶室を建てたりしてました。(中略)。
ま、そんなんで、うちの家では、わたしが幼稚園へ通うてる時分から、
自然とお茶に親しむようになったんです。

わたしはこの部分を読んで、ひゃぁ~そういう人もいるんだなぁ、と思いました。
日本の考古学者で墓を暴いたから神経衰弱になった人なんていたかしら?
だいたい神経衰弱になってたら考古学なんてやってられないし・・・。
これがプロとアマチュアの違い?とか思ったり・・・。
現にこのわたしもお墓をいくつも暴いているし・・・。
福岡では弥生時代の甕棺の中にハンサムな17歳男子の骨がそっくり残っているのを
掘ったこともありますが、神経衰弱にはならなかったな・・・。
エジプトのツタンカーメンの墓の発掘に携わった人たちは謎の死を遂げていますが・・・。

思うことは様々ありますが、考古学が公充さんをお茶に導いた、という事実を知り
ちょっとうれしくもありました。
そしてわたしが今こうやってお茶に関わっているのも、何か関係があるかも・・・
なんて思っています。