『
虚堂録』巻九に見える「坐一走一」を出典とする句です。
「一」は「万法一に帰す」という場合の一、絶対なる真理をあらわし
「七」は日常的なさまざまな雑事を指し
「唯一絶対の真理に腰を落ち着けていながら、
その一方では俗世間の中での諸事に
臨機応変、無碍自在に対応する」
という意味を表すそうです。
坐禅に励み、禅語録などで禅者の言行を学び、真理を追究し
それが具体的に実生活に生かされなければ、
修行をする意味はない、ということでしょうか。
何事も自己満足に終わることなく、何かしら世のため人のためになるように務めること
できそうで、できませんね…。