宗恵の『一日一禅』 238

座一走七(いちにざしてしちにはしる)


虚堂録』巻九に見える「坐一走一」を出典とする句です。

「一」は「万法一に帰す」という場合の一、絶対なる真理をあらわし

「七」は日常的なさまざまな雑事を指し

「唯一絶対の真理に腰を落ち着けていながら、

その一方では俗世間の中での諸事に臨機応変、無碍自在に対応する」

という意味を表すそうです。

坐禅に励み、禅語録などで禅者の言行を学び、真理を追究し

それが具体的に実生活に生かされなければ、

修行をする意味はない、ということでしょうか。

何事も自己満足に終わることなく、何かしら世のため人のためになるように務めること

できそうで、できませんね…。