趙州(じょうしゅう)和尚にある僧が尋ねた。
達磨大師がインドから中国に来て伝えようとしたものは何ですか?」
趙州は答えました。「庭先の柏の木(庭前柏樹子)だ」
「老師、そのような外にあるもので示さないでください」
「私はそんなことはしていない」
「それではもう一度お答えください」
「庭先の柏の木だ」
禅問答の典型的な例ですが、修行を少しでも修めれば
達磨大師が伝えようとしたことがわかるそうです…。
仏法の真髄というものは、特別なものでなく、たとえば庭先に植えてある木のように
わたしたちの身の回りのあらゆるところに満ち溢れているよ、ということでしょうか。