宗恵の『一日一禅』 72
この句の「打」は打つという意味でなく「打魚(魚を獲る)」「打船(船を作る)」
と同じく、何かを「する」ということです。
花の側に行けば花を愛で、月が出てきたら月を眺める、という意味になります。
「茶に遭えば茶を喫し、飯に遭えば飯を喫す」という言葉もあります。
当たり前のことを、当たり前にして日々暮らすこと
この『一日一禅』を始めてから毎回のように「当たり前」と書いているように思います。
その「当たり前のこと」をごく自然に行うことの難しさ、が現実にはあるのでしょうか…。
心に余裕がなければ、花を愛でたり 月を眺めて無心になる ということはできませんものね…。