宗恵の『一日一禅』 33

銀椀裏盛雪(ぎんわんりにゆきをもる)


雪の降りしきる露地をながめながら、一服いただく。

銀のお椀に真っ白な雪を盛った情景を思い浮かべ、素敵な句だなあと取り上げたのですが…

この句にはふか~い意味があるそうです。

中国宋代の禅の書『碧巌録』に

「禅のぎりぎりの真意はどうですか」との問に

「銀椀裏に雪を盛る」と応じた、とあります。

白さという点で銀椀も雪も同色で見分けがつきませんが、実体は違います。

あくまで銀椀は銀椀で、雪は雪で全く異質のものです。

白色という点で同じであっても互いに独立した存在です。

茶道の場合「一座建立」といって主客一体とよく言われますが

亭主は亭主、客は客の持分がありそれを犯すことはできません。

平等の中にも歴然とした秩序があるわけです。

と、ここまで書いてわたし自身わかったような、わからないような…

以前に書いた「茶室の中の平等と貴人点」に共通するようですね。
       http://blogs.yahoo.co.jp/soukei0322/25993416.html


ちなみに「裏」とは  そのようなありさまのうちに という接尾語的なはたらきをする字です。

たとえばよく使う「成功裡に終わった」の「裡」と同じです。