宗恵の『一日一禅』 21
では今日はその意味するところをお話いたします。
この「無事是貴人」はよく12月のお席でお目にかかります。
一年間無事に過ごせたことの感謝と、来る年も無事に過ごせますようにという願いを込めてです。
わたしたち青年部のお席でもそのような気持ちで掛けさせていただきました。
ところがですね、本来の意味は違ったのです…。
この句は唐の時代の臨済禅師のお言葉ですが、
「求心歇む処(ぐしんやむところ)即ち無事」
外に向かって求める心が消え、無用なはからいをしなくなった境地のことだそうです。
わたしたちは仏や真理を外に求めますが、分別心を断ち切ってあるがままに振る舞えば
そこに貴い「本来の自己」が現われる…。
しかしその段階に至るには、よほど修行を積まないとですよね。
あるがままに振る舞って、それが個性だからといって何も言わない親…。
禅語も都合の良いように解釈されないようにせねば…。