昔話:『ジャクリーヌ・デュ・プレ』

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 最近、学生時代のお友達とよくメールしたり、電話したりする。先日は夜の11時からなんと1時間半もしゃべっていた・・・。今日は昔話をしたくなったので、お付き合いくださいませ。
 
 わたしは小学生の時はいじめられっ子の登校拒否児だった。両親が転校を考えたほど。中学生になって、ちょっとお勉強したら・・・とたんに、みんなの見る目が変わった・・・。それから俄然、自信がついてなんでも積極的にやるようになった。その頃、都立高校は学校群制度というのがあって、日比谷高校は三田・九段とともに11群だった。わたしは絶対に11群を受けて日比谷高校に行くんだ!と思い込んでいた。もちろん、11群に受かっても日比谷に行けるとは限らなかったが、わたしの通っていた中学校からは日比谷に行く人がほとんだった。が、しかし・・・その夢はもろくも崩れ去った・・・。わたしが中3の時に横須賀に引っ越すことになったのだ。
 神奈川県は当時「神奈川方式」と言って中学1・2年のアチーブメントテストも入試のポイントになった。そのテストを受けていないという理由で、希望していた高校を受けさせてもらえなかった。それを知って、勉強もしなくなった・・・。無難な女子高に入って、それなりに楽しい高校生活ではあった。
 入りたかった白雲の考古学専攻に入学してびっくりした。他に2人、横須賀出身の女の子がいたのである。担任のS先生からは「横須賀三人娘」と呼ばれ可愛がっていただいた。その2人はわたしが行きたかった高校の出身。まぁ、結果オーライということか・・・。
 横須賀には8年しか住んでいなかった。父が古巣の京都に転勤になりそちらに家を建てたのだ。今思うと横須賀に家を建てる必要もなかったのに・・・。2時間半かけて会社に(そしてわたしは学校に)通う必要もなかったのに・・・。あのまま東京に住んでいたらどんな人生を送っていたのかなぁ・・・なんて時々思うのであります。

 画像は昨年もいつの間にか咲いていた『ジャクリーヌ・デュ・プレ』です。これひとつしか蕾がありません・・・ショック・・・。