中越地震から一年

本来、日曜日は「ブログお休みの日」なのだが、きょうは特別。

我が家は下越地方なので、揺れはしたが被害がでるほどではなかった。

当時、長男が長岡工業高等専門学校に行っていた。

被災地の中で、一番長く休校になっていた学校だ。

学校の寮で生活しており、いつもなら土・日もめったに帰ってくることはないのだが

この日2004年10月23日土曜日だけは

「今日、帰る。」「何で?」「なんとなく」という虫の知らせ?かこちらに帰ってきていた。

地震は彼が床屋に行っている時に起こった。床屋から帰ってくるなり

「これから学校へ行ってくる。学校が大変だ!」

寮にいる友達からのメールで、寮が傾きみんな食堂に避難しているという。

彼はバイクに乗っているので、車はダメかもしれないが、バイクなら大丈夫と言う。

地震が起こったばかりで混乱している所へ行ったって、かえって迷惑だと

やっと説得して思いとどまらせた。

が、翌日彼は行ってしまった。

それから学校再開まで長岡の市役所で寝泊りしていた。

このまま社会福祉協議会に就職してしまうのでは、と思ったほど

重要な仕事を任されていた。


わたしはというと、長岡高専後援会(PTAみたいなもの)の支部長をしていた。

わたしの支部49名の学生は通学が無理なのでみなさん寮かアパート暮らし。

学園祭が近かったせいもあり、学生のほとんどは長岡にいた。

保護者の方に迎えに行ってもらうよう連絡したり、

ちゃんと戻ってきたか確認したり、ドタバタしていた。

この迎えに行くのが大変だったらしい。道路は寸断されて、何時間もかかったそうだ。

心配したおばあちゃまが「まだ帰ってこない」と何度もうちに電話をかけてきたっけ…。

地震の次の日が日曜日だったから迎えに行けたが、そうでなかったら…。と言う方が大勢いた。

学校からの連絡もなかなかなく、保護者の方から聞かれてもわからないし、結構大変だった。

やっと連絡があったが、これからの情報はすべてホームページで確認して欲しいとのこと。

保護者の方の中には家にパソコンのない方も多く、

あっちからもこっちからも言われて少しまいりました…。

わたしの地震の体験談?でした。


※その長男から電話があり、ン万円したチャリをパクられたそうな…。
 まったくヒドイ話だ。